大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9982号 判決 1981年9月21日

原告

古河利壽

原告

古河勝子

原告

古河重勝

原告

古河賢治

右四名訴訟代理人

土生照子

大国和江

右訴訟復代理人

荒川晶彦

被告

医療法人財団圭友会

右代表者理事

小原準三

右訴訟代理人

小屋敏一

杉野修平

北原弘也

右訴訟復代理人

藤原晃

主文

一  被告は、原告古河勝子に対し、金三七〇〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和四五年一〇月一八日から、内金三四〇〇万円に対する昭和五四年九月四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、原告古河重勝、同古河賢治に対し、各金五〇万円及びこれらに対する昭和四五年一〇月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告古河勝子、同古河重勝、同古河賢治のその余の請求及び原告古河利壽の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項及び第三項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一当事者

被告が肩書住所地で被告病院を開設し医療行為をなしている者であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告勝子は佳子の母で、原告重勝は兄、原告賢治は弟であること、また原告利壽は、昭和四二年頃から原告勝子と知り合い間もなく内縁関係に入り昭和四三年一一月に先妻との間に協議離婚が成立(届出は昭和四四年六月二日)すると、翌昭和四五年八月五日原告勝子との婚姻届けを出し、同月二四日原告重勝、同賢治とも養子縁組届出をなしているものであること、この間右届出前から原告賢治と佳子の在学中はその学費等の仕送りをしてこれらの事実上の父親であつたことの各事実を認めることができる。

二診療事故の発生

<証拠>を総合して認めることができる事実によれば、本件事故発生に至るまでの経過は次のとおりである。

1  佳子は、昭和四四年一二月二五日東京都中野区本町所在の本郷診療所において佐藤医師から急性上気道炎と診断され自宅療養していたが、同月二七日(土曜日)の午前中から発熱、呼吸困難を訴え、食事が咽を通らず、食べてもすぐにもどすような状態であつたため、同日午後二時半頃右診療所で右佐藤医師の診療を受けたところ、声門水腫の疑いがあり入院治療を要すると診断され、同日午後三時頃救急車で被告病院に搬送された。

2  佳子は、先ず外来診察室で早川医師の診察を受けた。

佳子は、二、三日前から風邪気味で、咳、咽頭痛があり前日夕から呼吸が因難である旨を訴え、早川医師が診察したところ、喘鳴が著明で咽頭発赤、扁桃膜張が見られ、胸部に乾性ラ音が聴取された。さらに早川医師は胸部X線写真撮影をし、心電図検査をしたが、右検査の結果には心臓疾患を疑わせる異常は認められなかつた。

以上の所見から、早川医師は佳子の症状を当時流行していたホンコン風邪を誘因とする気管支喘息と診断し、右外来診察室において呼吸困難を緩和する目的で二〇%ブドウ糖二〇ccに気管支拡張剤ネオフィリン一〇ccを混入した静脈注射を行い様子を見たが、呼吸困難が緩和されないので、同女を被告病院に入院させた。

3  早川医師は、入院時に内服薬として気管支拡張剤アロテック、アストフィリン、ネオフィリン、塩酸エフエドリン、冠状動脈拡張剤ベルサンチン、胃酸K・T及び複合トローチのそれぞれを三日分処方し、さらに血液、血沈、尿の各検査を指示するとともに、佳子の呼吸困難を緩和するため酸素吸入を開始し、さらに二〇%ブドウ糖二〇ccにネオフィリン一〇ccを混入した静脈注射を行い、また佳子には感冒性下痢が続いていたことから五%ブドウ糖五〇〇ccにビタミンB1二〇mg、ビタミンC五〇〇mg、下痢止めとしてエンテーリン一アンプル、それにネオフィリン一〇ccを混入した点滴を開始した。

続いて同医師は、翌二八日の処置として、右二〇%ブドウ糖二〇ccにネオフィリン一〇ccを混入した静脈注射と右と同様の点滴及びクロマイ一gの投与を指示し、又翌々二九日の処置として右静脈注射とクロマイ一gの投与を指示しカルテにこれを記載した。

しかし、右点滴及び酸素吸入の後も佳子の症状に著しい変化は認められず、かえつて熱も38.4度位まで上昇したため、早川医師は気道感染及び肺炎予防の目的でクロマイ一gを注射し、解熱剤として二五%メチロン二cc、喘息治療及び薬剤によるショック予防の目的で副腎皮質ホルモンデカドロン二mgを投与し、一般状態の改善を図つた。

その後、佳子の一般状態はやや改善され、同日の夕方頃には単独で歩行して用便に行けるようになつた旨の報告を受けたため、早川医師は、前記指示中、二八日の欄の二〇%ブドウ糖二〇ccとネオフィリン一〇ccの混合注射の指示を抹消し、右注射は呼吸困離時に施行し、また体温が37.5度以上になつたときは二五%メチロン二cc一アンプルを投与することを書き加え、さらに二八日にはデカドロン二mg一アンプルと二五%メチロン二cc一アンプルを投与することも追加してカルテに記入し、看護婦にもその旨指示したほか、当直医に連絡して直ちに診察を受けるべき旨の指示を与え、午後五時四〇分頃帰宅した。

4  同日午後六時頃早川医師による前記点滴が終了し、佳子は夕食をとつたが、すぐに嘔吐し、全身の掻痒感を訴え、発赤、発疹が認められた。

午後七時三〇分頃、当直の島川看護婦の申出により当直医の林医師が診察した。右診察時の佳子の状況は、軽い喘鳴と呼吸困難を訴えたほか、発熱のためと思れる顔面紅潮、発疹が認められ、頻脈があつた。林医師は発疹に対する処置としてレスタミン三〇mgの静注を島川看護婦に指示して行わせたが、特に呼吸困難を緩和する処置はとらなかつた。

同日午後一一時頃、林医師は島川看護婦から佳子が入眠できそうにもないと訴えていることを聞き、一〇%フェノバール一アンプルを注射させた。なおこの時佳子には軽度の喘鳴が認められた。

翌二八日午前二時頃林医師は島川看護婦から佳子に軽度の喘鳴が認められ、入院時から水様便が七回もある旨連絡を受けたので、右下痢症状緩和のため整腸剤としてブスコパン一ccの注射を指示した。

同日午前三時一〇分頃、佳子は強度の喘鳴を呈し苦痛を訴えたため、島川看護婦は早川医師から指示のあつた二〇%ブドウ糖二〇ccにネオフィリン一〇ccを混入した静注をなした。右注射後喘鳴は軽度になつたが、佳子は相変らず苦しい旨を訴えつづけた。

同日午前四時頃にも佳子は強度の喘鳴を呈し、苦痛を訴えたが、島川看護婦は佳子に起坐呼吸をさせて様子を観察するだけで当直医の林医師に連絡せず、何らの処置もとらなかつた。

午前八時、酸素ボンベの交換がなされた。

5  二八日午前一〇時ないし一〇時三〇分頃、常勤の高橋医師が佳子を診察した。右診察時の佳子の一般状態は比較的良好で三八度前後の発熱があり咽頭部に軽度の炎症が認められたが、心音には特別の異常は認められず、呼吸音は気管支喘息に最も特徴的な気管支音を呈しており、佳子は呼吸が苦しく歩行が困難である旨を訴えていたが、前日に比しやや小康状態にあるようにみえ、時折みかんを口にしたりしていた。高橋医師は前日の胸部X線写真、心電図、血液検査の結果を検討したが、右心電図に異常はなく、右X線写真の結果によれば、喘息のため横隔膜の位置が下げられていることが認められるほか、外部所見としては、肺炎等の炎症性変化の異常は認められず、血液検査の結果によれば、赤血球には異常は認められなかつたが、白血球が正常値の倍以上の値を示していた。高橋医師は以上の所見と来院後佳子に投与された注射、薬剤等治療行為の内容、その効果から佳子の症状を感冒が先行する気管支喘息の重積状態と判断し、喀痰の溶解排出、気管支の拡張、薬剤ショックの予防を目的とした五%ブドウ糖リンゲル五〇〇ccに副腎皮質ホルモンデカドロン六mg、気管支拡張剤ネオフィリン一〇ccを混入した点滴を三浦婦長に行なわせた。また、高橋医師は気管支のけいれんを沈める目的でボスミン0.3ccを注射し、佳子に付添つていた訴外田川らに対し、約三〇分に亘り佳子の容態につき説明し、広島へ連れ帰りたいとの申出については、万一の事態を考えてこれを許可しなかつた。

6  高橋医師は、午後零時半頃、当直医の本木医師と食堂で会つて引継を行い、同医師に対し佳子が気管支喘息の重積状態であること、副腎皮質ホルモン、気管支拡張剤の投与、補液等を行つているが、ボスミン0.3ccをすでに投与しており次回投与するときは0.2ccに止めること、症状の改善がないときはネオフィリン一アンプルにブドウ糖二〇ccを混入して様子をみること等を指示した。

7  本木医師は、二八日午後零時三〇分頃から当直医として、被告病院の入院患者、外来患者(急患)のすべての診療に従事していた。

午後二音少し前、本木医師は三浦婦長から佳子が呼吸困難をきたして非常に苦しがつている旨の連絡を受け、これを診察した。佳子は顔面を紅潮させ呼吸困難を訴えており、聴診すると全肺野に気管支喘息に特徴的な笛声音が聴取され、体温も四〇度位まで上昇していつたが、本木医師は特段の処置を採ることもなく様子をみることとした。

午後三時頃、本木医師は、三浦婦長から佳子の呼吸困難が悪化し非常に苦しがつている旨の連絡を受け、これを診察した。佳子の呼吸困難はこれまで以上に悪化しているようであり、時々けいれん発作も見られたので、本木医師は呼吸困難を緩解させるため、三浦婦長に対しネオフィリンの注入を指示し、三浦婦長はネオフィリン二〇ccをグルコース二〇ccに混入し、三分ないし五分かけてこれを注射した。

午後三時三〇分頃、佳子は相変らずけいれん発作を続け、顔面は紅潮を呈しており、本木医師はボスミン0.2ccを注射し気管支拡張を図つたが、あまり反応はなかつた。

午後四時頃、佳子は手足をけいれんさせ、舌をかみ切る程の大発作を起こしたため、本木医師は舌をかんで出血することと気道閉塞を防止するため開口器、吸引器を使用し、けいれん発作をおさえるためフェノバール一〇%一ccを注射したが、余りけいれん発作はおさまらなかつた。

本木医師は、暫らくフェノバールの効果をみようと思い佳子の観察を続けたが、あまりけいれん発作が強いようなので午後四時三〇分再度同量のフェノバールを注射した。佳子の発作は、体力の衰弱からか舌をかむほどのけいれん発作ではなくなり、本木医師は、もはや舌をかむ惧れがないと判断して開口器をはずした。ところがその後午後四時四〇分突然佳子の呼吸が停止したため、本木医師は蘇生器を使つて酸素の供給を試みたが、余り強く酸素を送り過ぎると気管支の方に分泌物を送る悪い結果をきたす惧れもあつたので、加圧式人工呼吸を併用し、呼吸回復のためテラブチク一アンプルを、また強心剤としてビタカンファ一アンプルを順次注射した。しかしながら、午後四時五五分佳子の心臓は停止した。

なお、以上の治療行為のほか、被告は、二八日午前九時頃から午前一〇時頃までの間に、早川医師の診療録上の指示に基づく処置としてクロマイ一gの静注と点滴がなされた旨主張し、前掲証人林、同高橋、同本木の証言中には右主張に副う部分もあるが、前掲証人三浦、同島川の各証言によれば、当直の看護婦が医師の診療録上の指示に基づき投薬等を施行する場合、被告病院においては必ず二病棟日誌、看護記録に記載している事実が認められるところ、右被告の主張の治療行為については、右二病棟日誌、看護記録のいずれにも記載がないばかりか、医師の診療録にも記載がなく、従つてこの部分に関する前記証人高橋、同林、同本木の各証言はいずれも信用しない。

三被告の責任

1 以上二に判示したところからすれば、佳子と被告との間には、昭和四四年一二月二七日、佳子の病気の治療に関し、当時の医学水準に基づいて同女の病状を医学的に解明し、これに応じた治療行為をなすことを目的とする診療契約が成立したものと認めることができる。

2  <証拠>によれば、気管支喘息とは、喘鳴や咳嗽を伴う、発作性の呼吸困難を起すことを特徴とする疾患で、気管支の広汎かつ可逆性の狭窄によつて引起され、特定の心肺疾患によらないものであり、これを起す原因ないし誘因としては、アレルギー、感染を始めとして、天候の変化、刺激物質の吸入、心理的ストレス、過食、過労など種々の因子が複雑にからみあつているが、いずれにしても、気管支の狭窄は、気管支平滑筋のれん縮、粘膜の腫張、気管支粘液の分泌亢進によつて起きるものとされており、その重症度により、軽症(呼吸困難は軽く、通常の歩行、動作はほぼ可能であり、日常生活には殆ど支障ないもの)、中症(呼吸因難が比較的強く、通常の歩行、動作にもかなり困難があり、日常生活に支障のあるもの)、重症(呼吸困難が非常に強く、起坐呼吸を呈し歩行運動が殆ど不能なもの)の三段階に分類されること、また、喘息発作が重篤で、気管支拡張剤の静注等通常の対症療法によつては効果はみられず二四時間以上強い発作が持続する場合を前記重症に属する気管支喘息のなかでも、特に発作累積(重積)状態といい、緊急かつ厳重な治療を要するものであることが認められるところ、先にみたとおり、佳子の入院時の状態は、遅くとも当日の午前中からすでに呼吸困難を伴う強度の喘息発作が続いていたこと、救急車で被告病院に搬送され、外来診察室で気管支拡張剤ネオフイリンを静注するも呼吸困難が緩和されず、入院治療を必要とし、更に入院後もネオフイリン投与に対し著しい改善を見せず、引続き点滴、酸素吸入を必要とする程度であつたことからすると、佳子はすでに右入院時から気管支喘息の重積状態にあつたものと言うべく、後に述べるような速やかで且つ適切な治療が必要とされる状態であつたものということができる。

3  そこで、気管支喘息重積状態の治療についてみるに、<証拠>によれば、右治療の基本として一般に次のように言われていることが認められる。(一)患者の呼吸面の管理、観察を十分に行うために入院させる。(二)重症発作の際には、食事をとることはもちろん、水を飲むことさえかなり困難になり、また努力性呼吸のために発汗が甚しく、呼吸による不感蒸泄(呼気の中に含まれて排泄する水分)が増大するため、発作が長時間に亘れば体内の水分は失なわれて脱水に伴う種々の症状が現れる。特に喀痰は粘稠となつて喀出困難となり、咳嗽は患者の疲労を一層増大させるばかりか、気管支の粘液栓子によつて広範な窒息状態を惹起し、あるいは、これが促進されてついには死亡するに至ることもある。それゆえ、重症発作の続いている症例では最初に補液を行つて脱水の是正を図るべく、五%ブドウ糖あるいはこれに加えてリンゲル液を点滴静注しなくてはならないが、その投与量は正常人の水分摂取量、排泄量が一日当り各二五〇〇ccであるのに較べて重症発作時は発汗が約倍増(平常時五〇〇cc、発作時一〇〇〇cc)、不感蒸泄は三倍増近く(平常五〇〇cc、発作時一三〇〇cc)になると考えられている点から二四時間に三〇〇〇cc以上の補液を行うことが必要とされる。(三)重症の喘息発作が、しばしば感冒、気管支炎等の上気道、気道の感染によつて誘発され、この誘発された喘息による喀痰の排出困難、全身の消耗等によつてさらに気道感染がすすみ重篤になることがしばしば経験されるところから、右気道感染に対する処置として広域スペクトルの抗生剤を十分に投与する。(四)重積状態では、もはやアミノフイリン等の気管支拡張剤が有効でないため、積極的に水溶性ステロイド剤の静注ないし点滴静注を行う。ステロイド剤は不用意に使用すると下垂体、副腎系の機能低下を来たし、種々の障害を惹起することが知られているが、これは喘息に対しすぐれた治療効果を発揮することから、重症発作で特に生命の危険が予想される場合には副作用を度外視して早期に十分な量を使用する。(五)重症発作の場合は気道の閉塞が持続し、酸素の減少状態にあるから酸素吸入が必要である。(六)原則としてフエノバールの如く呼吸中枢を抑制したり、抗ヒスタミン剤の如く気道内の分泌物を乾燥させるような薬剤の投与はすべきでない。

なお、前掲各証拠によれば、フエノバール等の危険性の認識の程度につき本件診療事故当時と現在では成書中の記載に若干の変遷があることが認められるが、基本的には殆ど変つていないということができる。

4  そこで、被告病院の佳子に対する治療についてみるに、上述のとおり気管支喘息重積状態の治療においては、特に脱水状態の是正のための補液が重要であると認められるところ、佳子は入院時早川医師により五%ブドウ糖五〇〇ccにネオフイリン一〇ccを混入したものを点滴されているが、同人はすでに入院当日の午前中から一日三ないし四回の下痢をし、嘔吐している旨を訴え、また右点滴終了後の食事も受けつけず、すぐ嘔吐してしまつているうえ、入院からわずか一〇時間前後の翌日午前二時までの間に水様性の排便七回に及んでいることは前判示のとおりであり、これに前記の如き気管支喘息の重症発作時における一般的な水分消費量の増大と佳子が入院時から一貫して喘鳴、呼吸困難を訴え、ついにこれが改善されることがなかつたことを併せ考えると、佳子は明らかに喘息発作による脱水状態に陥つていたものと言うべく、被告病院としては、速やかに右改善を図るため十分量の補液をなすべきであつたものと言うべきである。

しかるに、被告病院としては、入院時五〇〇ccの補液を行つただけで、その後翌二八日午前一〇時ないし一〇時半頃高橋医師がさらに五〇〇ccの補液を行うまで佳子から幾度も喘息発作のため呼吸困難の訴えがあつたにもかかわらず、当直医である林医師は右呼吸困難緩和のための処置としては気管支拡張剤であるネオフイリン一〇ccの静注を行つたのみで、全く補液を行なわず、また高橋医師が二八日に行つた補液の後も、佳子を担当した本木医師は佳子の死亡に至るまで全く補液を行なわなかつたもので、右は気管支喘息の重積状態にある患者に対する基本的な治療を誤つたものと言うほかはない。

なお、右補液の点につき、被告は、佳子が経口的に十分量の水分を摂取していた旨を主張するが、すでにみたとおり、佳子は二七日午前中から食事をとつてもすぐに吐いており、入院後も夕食摂取直後これを嘔吐し、その後、二八日の高橋医師の診断時やや小康状態を取り戻すまで呼吸困難を訴えつづけており、特に経口的に水分を摂取してはいないこと、右小康状態を取り戻してから同日午後呼吸困難を訴えるまでみかんを食べることもあつたことが認められるが、すでに脱水状態にある佳子にとつてこれが十分量であつたとは認め難いことからして、右被告の主張は採ることができない。

そして、前掲各証拠によれば、気管支喘息患者の死亡原因中最も多いのは気管支の粘液栓子によつて起こる広範な窒息状態による窒息死であり、補液の不足は右のような窒息状態を惹起しあるいは促進するものであることが認められることからすれば、右補液の不足が佳子の死亡に影響していることは否定できず、他に特に佳子の急激な死亡につき重大な影響を及ぼす要因を見いだすことのできない本件では、右補液の不足と佳子の死亡との間の因果関係はこれを肯定して誤りがないものというべきである。

そうだとすると、被告病院の医師ら判旨は、気管支喘息の重積状態にあつた佳子に対し、十分な補液をなすべき義務に違背し、その結果同人をして気管支閉塞により窒息死するに至らしめたものというべきであるから、右医師らの診療は、前記認定の診療契約上の債務の本旨に従つた履行ではなかつたものというほかはなく、右債務不履行につき帰責事由のないことを証するに足りる証拠はないから、被告は、その履行補助者である右医師らの債務不履行の結果原告らが被つた次項判示の損害につきその賠償の責に任ずべきものである。

5  なお、原告らは、佳子の二八日午後四時頃のけいれん発作がその直前の三浦婦長によるネオフイリンの注入投与が急速過ぎたためであり、延いてはこれがその後のフエノバール投与につながり、佳子を死に至らせた旨主張するので、検討するに、なるほど、<証拠>によれば、ネオフイリンは格別にゆつくりと(乙第四号証によれば一分間二五mg以下の速度で)投与すべく、投与速度が速過ぎた場合、顔面紅潮、嘔吐、頭痛、心悸亢進、異常呼吸、全身虚脱をきたすことがあることが認められるが、佳子に対してはそれまでにすでに三回にわたりネオフイリンが投与され、その注射速度についても必ずしも成書に記載されているほどゆつくり投与されたとは認められないにもかかわらず、特に異常は認められなかつたこと、前掲成書中にもネオフイリン投与の副作用として特にけいれん発作が頻発するものである旨の記載はないこと、また前掲証人本木の証言によれば、右けいれんの原因は酸素不足であると認められることからして、三浦婦長のネオフイリン投与と右けいれん発作との間に因果関係を認めることは困難であるといわなくてはならない。

6  また、本木医師のフエノバール投与の適否についてみるに、フエノバールに呼吸中枢を抑制する作用があることは上述したとおりであるが、右にみたとおり佳子はこの時点ですでに酸欠状態にあつたと認められそのため舌をかむほどのけいれん発作を呈し、これに対する処置が必要とされた一方、前掲証人光井の証言によれば昭和四四年当時フエノバールが佳子のような状態にある患者に対し禁忌であるとの認識は気管支喘息の治療の専門家の間でも一般的であつたとは認められず右専門家の間でも使用されていたことが認められることからすると、この点を捉えて、その診療行為を非難することはできないものといわなければならない。

従つて、以上二点についての原告らの主張はいずれも採用することができない。

四損害

1  逸失利益<証略>

2  慰籍料

原告らと佳子の身分関係は冒頭判示のとおりであるから、佳子の死亡により原告らが多大の精神的苦痛を受けたことは推測するに難くない。

しかしながら、前判示のとおり、本件診療契約の当事者は佳子であるから、右契約当事者でない原告らには右契約上の債務不履行を理由とする慰籍料請求は認めるに由ないものというほかはないが、原告らは予備的に不法行為を主張し、前判示の被告病院医師らの行為は不法行為を構成するものということができるから、原告利壽を除く原告らは、佳子の近親者として同女の死亡により被つた右精神的苦痛に対する固有の慰籍料請求権を取得し、被告は右医師らの使用者としてその賠償の責に任ずべきものと言うべきところ、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、右慰籍料の金額は原告勝子につきその主張の三〇〇万円を下らないものというべく、原告重勝、同賢治については各五〇万円をもつて相当と認める。

なお、原告利壽については、前判示程度の関係をもつてしては、佳子の死につき固有の慰籍料請求権を取得するということはできないものというほかはないから、同原告の請求は認容することができない。<以下、省略>

(落合威 塚原朋一 原田晃治)

別表 省略

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例